こういう時の、僕の予感は大抵当たる。
「メメくんって、いつもここで寝泊まりしてるの?」
僕の腕に、頭を乗せたまま博子が言った。
「まぁな。ここで寝て、起きれば誰かしら麻雀の相手がいる。楽なもんだ」
「ほっといても、マーくんみたいな相手が来るから?」
「分かってんなら、言っとけよ高橋に。おれ相手に、小狡く稼ごうなんて10年早いってよ」
「さっきの半荘、私、通してないよ」
「嘘つけ。別にそんなことくらいで、ガチャガチャ言うつもりはねぇよ」
「ホントだもん」
博子が乗り出すようにして、僕の目を覗き込んできた。
どうしてこういう時の女ってのは、やけに澄んだ目をしてやがるんだろうな、なんてことを考えた。
「メメくんと、こうなりたかったから、って言ったら信じる?」
「それを額面通りに真に受けるほど、ガキじゃねぇよ」
ほらな。やっぱり惨めな気分になった。
別になんでもない女と、なんてこともないセックスをしただけなのに。
当時、ヤサなしだったが、特に女に不自由していたわけではなかった。
今晩泊めてくれよ、と言って、都合が合えば泊めてくれる女も2〜3人はいたし、僕自身、それほど性欲に対して真っ向から燃え上がるようなこともなかった。
性行為に対しては、いつもどこか冷めていた。だからこそ、余計に麻雀というものに、すべてを委ねていたのだろうとも思う。
僕を、完膚なきまでに叩きのめそうと挑んで来る、無数の挑戦者たちを返り討ちにすることに、至上の喜びを見出していた。
だから、こういうのはどこか居心地が悪い。
勝ったにも関わらず、なんだか面倒なことに巻き込まれそうな気がしていた。
もしもこれが、博子が自分の意思で、自分の身体を賭ける、という話ならこんな居心地の悪さは感じなかっただろう。
そういう提案を、受ける/受けないは別にしても、まだシンプルで分かりやすい。
だが、負けた高橋が、負け分の代わりに自分の女を差し出す、というのは気分が悪い。
僕だって心に暗澹としたものが広がってくるし、当然、博子もそうだろう。
高橋はどうなのか理解し難いが、こういうことができる男の心理状態というのは、想像もできなかった。
「で、さっきのはなんだったんだよ?」
「さっきのって?」
「わざとだとか、言ってたろ」
「ああ、あれね。マーくんに、嘘教えちゃった」
「嘘?」
「南2局でさ、メメくん、混一色七対子やってたでしょ?」
「ああ、二盃口崩れのかたちのアレな」
「あの時、西と発のシャボだって通したの」
そんな会話をしながら、僕は新鮮な驚きを感じていた。
自分の彼女に通しサインを仕込んで、壁役に仕立てようという男は案外多い。
それまでにも、僕はそんな女の出す下手クソなサインを逆手に取ったりしつつ、そういう相手を喰ってきた。
そうした女たちの中で、博子はちゃんと麻雀というものを理解していたし、記憶力も優れていた。
「お前さ…」
何、と博子が僕を見た。
「やっぱ、高橋とは別れろよ。はっきり言って、ろくな奴じゃないぜ。そりゃおれも、人のことをどうこう言えるような人間じゃねぇけどよ」
「私ね、ダメなんだ」
「何が?」
「マーくんがいないと、生きていけないの」
「んなわけねぇだろ。じゃあなんでさっき嘘の待ちを通したんだよ?」
その時の博子の微笑みは、反則としか言いようがなかった。
これが演技なら、男は女には、永遠に敵わねぇな、と思った。
「言ったでしょ? こうでもしないと、本当に抱かれたい相手と、寝ることもできないから」
そんなことを言われて、僕は言葉に詰まった。
博子の顔が、すぐ目の前にあった。
軽く唇を重ねて、ありがとね、と博子が言った。
「なあ。おれ、どうしたら良いんだよ」
「バカね、メメくん。あんたはオープンリーチに振り込んだりするの?」
「自分が、リーチ後ならな」
脱ぎ捨てられたキャミソールを着て、下着とハーフパンツを穿いた博子は立ち上がり、僕を見下ろして言った。
「あんたがリーチをかけれるのは、麻雀だけでしょ。いいの。分かってるから」
じゃあね、と軽く手を振って博子は出て行った。
午前4時半。外は仄かに、朝が近いことを告げていた。
僕はトランクスだけを穿いた状態で、床に座って扇風機の風に当たっていた。
さっきまでの汗がすっかり乾いて、寒いくらいだった。
博子の最後の言葉が、耳の奥に残り続けていた。
あんたがリーチをかけれるのは、麻雀の時だけ。
たしかに、そうだ。
その通りだった。
もしもリーチをかけてたら、裏ドラは乗ってただろうか?
箱にしまった麻雀牌を枕代わりに、ごろんと寝転ぶ。
横になった僕の目の前の床を、どこからか入り込んだ蟻が5匹、のそのそと歩いていた。
(おしまい)