名古屋の、美術系予備校に通い始めたのは高校3年の春からだった。
と言っても、そもそも美術系への進学を考えたきっかけが、「油絵とか描いていれば女の子にモテるのではないか」というものなのだから、その予備校での日々も、想像通りのものである。
Pという雀荘が予備校のすぐ近くにあり、夏頃には、僕はその雀荘に入り浸るようになった。
初めて、そのPという雀荘のドアを開いたのは、五月の中頃だっただろうか。たまたま、パチンコのモーニングで勝った金が3万ほど手元にあり、まぁこれだけあれば大ごとにはならないだろう、とタカを括っていたのである。
当時はまだ高校生だったが、周りの友人の何人かはフリー雀荘に出入りしている者もあり、そうした連中と打っていても、僕は負けることはほとんどなかったし、自分の腕が雀荘でも通用すると思い込んでいた。
「おいおい、高校生かよ」
Pの扉を開けた途端、手前の椅子で漫画雑誌を読んでいた男が馬鹿にするような口調で言った。
奥の卓で打っていた、店長らしい痩せぎすな中年男が「子供の来るとこじゃねーよ、さっさと帰れって」と言った。
「まぁまぁ、そう言わなくても。ほら、こうやって脱いどきゃイイでしょ?」
僕は学ランを脱いで、自分のバッグに詰め込んだ。
帰ろうとしない僕を見て、手前の椅子に座ってた男が話しかけてきた。
「なんだ兄ちゃん、麻雀打つんかい?」
「そのつもりで来たんだけど。別に未成年でもイイでしょ。テッポーでもないしさ(※テッポー…無一文で博打を打つこと)」
「ふぅん。でもよ、見ての通り今こんな感じなんだわ。店長、本走だしな(※本走…フリー雀荘で、メンバーが自腹でメンツとして打つこと。客が来るまでの繋ぎとして打つ場合は代走という)」
「待ってるからイイよ」
「待ってるだけじゃヒマだろ。俺と遊ぼうや」
そうして、男は隣の椅子から吉野家の丼をとって雀卓の上に置いた。
いつの間にか、右手にはサイコロが握られている。
それを丼の中に、熟練の料理人のような手つきでふわっと投げ入れた。
「チンチロくらい、知ってんだろ?」
「そりゃまあ」
「どうせ遊びだ。安いレートでいいから、一丁やろうや」
「サシのチンチロなんて、面白くないんじゃないかな」
僕がそういうと、男はおっ、という顔をした。
高校生で、そんなところに気を回せるのか、と言わんばかりの顔だった。
「普通のルールじゃそりゃ面白くもねぇよ。だからな、親は一回交代だ。テンパンでもタクのはナシ」
チンチロリンというのは、丼の中にサイコロを三つ落とし、その出目で勝敗が決まるギャンブルだ。親と子があり、多くのギャンブルがそうであるように、当然ながら親の方が若干有利にできている。
男の話は専門用語ばかりだったが、まぁなんとか理解はできた。
ちなみに、テンパンとは、親が1回目で目無しなどで親流れになることを意味し、タクというのは、続けてもう一度親になることをさしている。
男は、ゾーイ、と名乗った。本名は知らないし、どうしてゾーイなのかも知らない。
そのゾーイと、何度かチンチロリン、とサイコロを落とし、一万円にも満たない金額をとったりとられたりした。
「なんだかな。やっぱりこんな小銭賭けてても面白くねぇな」
「そうかもしれないけど、おれはそんなに金は持ってないよ」
「金じゃなくてもいいんだぜ」
ゾーイがそう言ったところで、奥の卓から「コラ、そういうのやめろっての」と店長らしき男が言った。
「いいじゃん、店長。別に迷惑はかけないって」
「おい、ゾーイ。お前、こないだもどっかの家出娘拾ってきたとこじゃねーか」
「大丈夫だって。ほら、こいつは男だし、ちょっとヤルだけだからさ」
やるだけ?
なんだか、嫌な予感がした。
ゾーイの目に、ある種の執拗さが宿っていた。
(続く)